2021.08.21
生まれ育った地域で繰り広げる、道明寺MONZENプロジェクト。どのような想いで取り組みを進めているのか、まちづくりに関わる幼なじみ同士の2人に前編・後編にわたり聞く。後編はまちに新しい流れを生むための不動産活用と地ビールづくりの親和性について。
――地ビールへの興味はいつからですか?
森田:二十代の頃です。酒屋からフリーターを経て実家の酒屋に戻ってきたときに、銀河高原ビールを飲みました。「これはなんや!めちゃくちゃうまいやないか!」と。それが地ビール(まだクラフトビールという呼称は一般的ではなかった)との初めての出会いですね。
ちょうどそのころから、醸造量の規制緩和などが行われて大手以外の参入障壁も徐々に低くなって、地ビール工場が増え始めた。当時はまだ玉石混淆だったけども、しだいに淘汰されていったように思います。
――具体的に醸造に乗り出したのは?
森田:うちが酒屋からコンビニに業態変化しようかというときに、地ビールという選択肢もあったんですが、当時はまだプラントへの設備投資がとんでもなかった。で、店は酒屋からコンビニになるんですが、この数年であらためて調べてみると、技術の進化に伴い以前よりも小規模でも地ビールを醸造できることを知り、再びその思いが再燃してきたんです。
コンビニから地ビール屋に鞍替えしようか思案していたところ、西村さんが「ちょっと待て」と。ちょうど天満宮の宮司さんから門前の土地の利用を相談されていて、「それなら、その門前(MONZEN)でやったらどう?」ということで。
――はじめて天満宮門前の建物を見た時の印象は?
西村:梁、柱、その佇まいも素晴らしいけど、なにより一番はロケーションですね。道明寺天満宮の参道に広々とした間口、あのファザードをもつ古民家、というのは本当にかけがえのないもの。脇の立派な常夜灯も風情満点。
――MONZEN始動へのタイミングと過程をおしえてください
西村:現とこなりメンバーでもある道明寺天満宮宮司さんから相談を受けたのは2年ほど前。百舌鳥・古市古墳群の世界遺産認定へのタイミングで、道明寺の商店街とともにホテル構想を立ち上げ、商店街の空き店舗に宿をつくり、MONZENにはエリアの総合案内所のような機能をもたせようとしてたんです。
当時は世界遺産に認定されてもこの地域に泊まるとこすら十分にはない状況で。結局その計画は、関わる人たちのそれぞれの思いがあったり、うまく合致しないところもあったりして。まだ不動産クラウドファンディングというのもなかったしね。
で、どうしようかなと思案していたところへ、森田さんが地ビールをつくりたいとの思いを聞き、急速にプロジェクトの輪郭がはっきりしてきて、そこで再始動しました。資金に関してもちょうどそのときに不動産クラウドファンディングという手段があることを知って。
――MONZENをどういう場所にしたいですか?
西村:観光案内所、地ビールが飲める、チャレンジキッチンでいろんな飲食が楽しめる、いろんなことが起こるにぎわいの場所ですかね。
――このプロジェクトのアドバンテージとなるものはなんですか? 西村:通常、直接投資の古民家再生に求められるものは収益の安定性・継続性なんです。今回の場合は不動産クラウドファンディングを利用しているので、安定性よりも「ひろがり」、これは今までも意識してやってきたんですが、より分かりやすくハッキリと打ち出せますね。
不動産クラウドファンディングを利用するぶん、膨らむ経費をカバーするために、単純に固定の店舗さんへ毎月の賃料を高く設定させていただくのは、あまりにも芸がない。
それでシェアキッチンという形で、レントスペースとして貸し出す。さらに利用者の満足度を上げるためには、不特定多数の集客誘導を促進する必要性も同時に強く感じます。
――集客の固定化と流動化は並行して行われるものなのですね。
西村:いうまでもなくコロナの前後で、観光の概念は変わってきています。もちろん、まちの観光案内というものも抜本的に考え直していく必要がある。
いまのところ、商店街はまだにぎわいがあるとは言い難いでしょう。シェアキッチンなど気軽にトライできる場所をつくることで、このエリアににぎわいをつくり出してくれる魅力的な店主さんが現れるかもしれない。シェアキッチンをきっかけに商店街のテナントに入るお店が出てくるかもしれない。実際、コロナが地方にとって、ある意味でプラスになることが起こっている。その受け皿、あるいは一種のプレイグラウンドという意味でもMONZENは機能すると考えています。
MONZEN自体も、オープンしてプロジェクト完結ではなく、どんどん進化していくし、MONZENからエリア全体にその影響が広がっていくイメージを描いています。
さらに、インバウンド需要が戻ってくるとすれば、その際にMONZENはじめこのエリア全体のどこを観光客におもしろがってもらえるのか、こちらからどこを観光客に魅せていくのか、その具体的な構想はもうすでに始めていく必要があります。
今のところ、このエリアにはこれといった特産品が少ないのも課題。古墳というと、みんなまずあの前方後円墳なカタチにこだわってしまうんですが、(聞き手含む)地元の人間はあのカタチにはさすがに飽きています(笑)それに比べれば、ものづくりの里といわれる歴史的なストーリーは、クラフトビールとも親和性があり、特産品としての可能性を感じています。
森田:道明寺には「糒(ほしい)」も、ありますからね。簡単にいうと餅米を干したもので、関東ではその名も「道明寺粉」とも呼ばれています。関西の桜餅は関東の桜餅と違ってこの糒(ほしい)が主に使われているんです。いま開発中のクラフトビールにもこの糒(ほしい)を使っています。まだ麦汁の時点ですが、これは独特の味になると実感したので、糒(ほしい)を使ったクラフトビールの開発にもチャレンジしていきます。
――お二人ともまちづくりの協議会に参加されていますが、やっていて良かったことはありますか?
森田:二人とも協議会の活動をしていることによって、地域行政に声が届きやすくなりました。
西村:民間の営業活動ではなく、まちづくりの話として通りが良くなっていると思います。
西村:子どものころ、夏休みに柏原のブドウ畑に昼間でもカブトムシがおるところがあって、自転車で山道を登って行った時に道の端の崖から自転車ごと落っこちたんです。その場でしばらく気絶していてね、気付いたら上から友達が大声で誘導してくれて。結局その友達のおかげでなんとか元の道に戻って無事帰宅できたんやけど、瞬間的に記憶のメモリーが飛んでしまったのか、その命の恩人でもある友人が誰だかまったく記憶から消え去っていて。誰やったっけ?って。で、30年後に、その命の恩人が森田だったと発覚したんですよ。
幼なじみカブトムシ仲間のお二人が、時を経てなお、生まれ育った地域で繰り広げる、道明寺MONZENプロジェクト。
前半・後半、これでおしまいです。
西村さんのプランにはいつも、場所(ところ)がアメーバ運動のように有機的に変化し、さらに人やアイデアが媒介となり、場所(ところ)の用途が固定化することなく、どんどん変わり続ける可能性をもたせる仕組みがある。
とくにこのMONZENに関しては、場所のポテンシャルの高さはもちろん、西村さんの狙いがカタチになるアメーバ型のプラットフォームに最適なプラン、メンバー、ロケーション、であるように思う。
(聞き手 ASANOYA BOOKS 高山純)
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