道明寺の老舗喫茶「チェリー」にて、四天王寺大学経営学部経営学科教授にして歩く食虫植物、「あまやん」こと天野了一さんにお話をお伺いしました。
--まず、あまやんのご本職は?
藤井寺市の隣の羽曳野市にある、四天王寺大学経営学部経営学科の教授です。中小企業論や、ベンチャー起業論、地場産業や地域の活性化が主な研究領域です。
教育活動=学生の育成としては、地域との関わりを取り持って、大学の4年間で学び、実践したことをきっかけに、将来、住んだりは働いたりする地域の活動リーダーとなりうる人材を、ピックアップして育てていきたい、という目標を持ってやっています。
--なるほど。レコード会社の新人発掘(SD)と共通点がありますね。
最近の学生は、引っ込み思案で、目立つのが苦手で、授業に大人しく座っているみたいな子が多いんですけど、そんな中でも少しでも地域や、外の世界に興味を持ってもらって、在学中でも卒業後でも、地域と関わり問題意識とチャレンジ精神をもって、起業したり、何か物事を興せるような人材を育てていきたいと思っています。
--地域の活動に興味を持つ学生は、多くはないにせよ、毎年必ずいるわけですよね。
そうですね、地域のボランティアに参加したい学生は、授業でスカウトしていくと、毎年数人は出てきます。それをLINEでグループ作りします。
--あまやんは、現在IBUの教授をされていますが・・・・元々は何者だったんですか?
もともとけっこう変わったことしとったんですよ、私。大学教授としても、実務家としてもかなり変わった経歴をもっています。
--でしょう!それはお会いした瞬間に分かりますw ただものなはずがない。大学の先生「よりも前」のお話を伺えますか?
兵庫県西宮市出身で今も西宮市から毎日1時間30分かけて車で通っています。愛車は電気自動車TESLA。
--西宮市といえば西宮戎ですが、昔はお化け屋敷や見世物小屋がありましたね。
20年くらい前までありました。人間ポンプ、タコ娘、へび女とか、河童とかね。
人間ポンプとは、白黒の碁石を飲み込んで色別のに吐き出したり。金魚を飲み込んで、それを釣り針で喉から自分で釣り出すおじいちゃん、へび女は、鼻から蛇を吸い込み口から出すおばちゃんです。
昔からサボテンが好きでね。なんで好きなんかわかんないですけど、食虫植物、多肉植物、サボテンとか、アフリカの動物、首狩族とか人食い人種とか、とにかくそういう秘境やジャングルに心を奪われていました。
--分かります!「すばらしい世界旅行」「知られざる世界」世代ですよね。昔はGoogle Earthがなく、交通網も発達してなかったので、地球上の各地に「秘境」があったんですよね。
で、図鑑やテレビでみたサボテンを実際に植物園でみたのをきっかけに、サボテンや、ウツボカズラなど食虫植物にも惹かれて、ウツボカズラの写真の横に、巨大化した食虫植物に食べられる人間の挿絵、小松崎茂か、石原豪人か。をみてドキドキしていましたね。そういえば、マリオのパックンフラワーはモロに人を食べる食虫植物です。世界最大の悪臭花、ラフレシアにも似てますね。ラフレシアは滅多に咲かないのですが、ボルネオ島に咲いたという連絡を受けて仕事を休んで、元首刈り族の村まで首刈り族の首の干物とともに見に行きました。
のちに、交換留学でニューメキシコ州サンタフェ(宮沢りえ写真集、ビートたけしの衣裳でもおなじみ)に1年間行くことになるんです。なんでかというと、砂漠やサボテンに興味があったから。スペイン語も勉強しました。
ホームステイ先でついた最初に出てきたの食事は、ピーマンや唐辛子を刻んだのが出てきて、それを平べったいパンのトルティーヤに挟んで食べるんです。それを食べた途端に衝撃が走って。全身から汗が吹き出して止まらない。見まもっていた人たちは大笑い。それが主食で毎日毎日出てきてw
ある朝、大きな麻袋が大量に家に届いて、それが全部生の唐辛子だったんですよ。それをホームステイ先の家族全員で、天日で焼いて手で皮を剥いて、そして家の裏にはそれを1年分保管する専用の冷凍庫がありました。当初は「なんてところに来てしまったのか!」と唐辛子の辛さも追い討ちをかけて、涙したのですが、一年後には激辛大好き、唐辛子がないといられないカラダになってしまいました。
--ニューメキシコあたりって、かっさかさの植物が道をコロコロ転がってるイメージですかね。
まさにそうです。タンブルウィードといいます。あれ、は、棘の生えたタネが家の中まで入ってきてて足に刺さるんですよね。そこで1年間いて、唐辛子がないといられないカラダになって日本に帰ってきたんですよ。
--学生時代は何をしていたのですか?
小学校の時に階段から落っこちて気を失って以来、数字がまったく分からなくなりましたw で、大学では、数字のない世界に行こうということで、法学部で法律を。でもあまり勉強はしなかったですが。「猥褻物はなぜ犯罪か、猥褻物陳列罪と公然猥褻罪の重罪度」みたいな卒論を書きました。
海外や世界には相変わらず興味があったので、アイセック(AIESEC)という国際交流サークルに入って、何か変わったことを、と思い、アフリカの学生と交流し、ジンバブエやナイジェリアとスタディーツアーをやったりしました。
ジンバブエは今と違い、当時はまだ安全でしたね。一方ナイジェリアは汚職と賄賂にまみれていました。入国の際に用紙のフォームに手書きで記入するんですが、カウンターに記入用紙がないよと係員に言ったら、高額な用紙代を請求されたりとかが、現地の大使館OBのアイセックの人が迎えにきてくれて出してもらったり、大変なショックを受けました。
--ぼったくり入国w
大学を出てからは、なんとなく海外に駐在したり、世界を飛び回って活躍するビジネスマン、的なものに憧れていたのですが、就活の際には国際交流もしたいという思いもあり、なぜか非営利の民間経済団体に就職し、海外の要人受け入れや、国際会議のセットアップ、海外調査団の手配なが最初の仕事でした。企業の経営者を海外に派遣する調査団や使節団、各国大使館経由で相手国の要人とのアポイントを取ったり、写真係や記録報告書の作成、お土産の手配などなんでもやりました。チェコやハンガリー、中国のウイグルや雲南、インドネシア、メキシコ、インドなどいろんな場所に出かけて民間ベースの国際交流、経済交流に取り組みましたね。
--でもあまやんが考えたスピーチを要人が読むってことは、ある意味でそれがオフィシャル発言な訳ですよね。こわ。
無難に終わらず、なにか一言、ひねりのある発言ができないか必死に考えました。そのあとは、国際交流関連のあと、非営利経済団体や外郭団体で、関空のプロモーションや現地セミナーをやったり、京都と奈良の学研都市のPR、あと歴史街道計画(それぞれの自治体が行なっている地元PRを統一したものを作り、プロモーション)の企画や支援なんかを自治体や国、企業と折衝したりもしました。
その中で、今の仕事に直接繋がっているのは、、インキュベーショマネージャー、産学連携=大学の研究所から出てきたテクノロジーをどう民間企業とつなげてビジネスに転化するか、まったく新しい大学初のベンチャーや学生ベンチャーにオフィスを提供したり、補助金取得などの経営指導を行ったり、経営コンサルタントとしてビジネスマッチングをする、などの事業支援を非営利ベースでしてきたことです。
--・・・話がどんどん巨大化していきますね。
仕事としては、ずーっと非営利団体の職員の立場で生きてきたのですが、サラリーマンとしてあまり休みも取れない中で、相変わらず海外は好きで、バックパッカーとして、年1、2回はアジアを中心に、1週間くらいの旅行に一人で出かけていました。ボルネオ島のラフレシアほか、15年ほど前に、ひとりでベトナムに行きました。当時ようやく観光客を受け入れはじめた時期で、招聘状が必要でした。
行ってみたら、現地のサンダルとかバッグとか雑貨とかがカワイイのがたくさんあって、買ってきたら女子がみんな「欲しい!」って言い出したんで、非営利職員の立場から、自らビジネスや副業をやることにも興味が出てきて、二回目は売ろうと思ってコンテナ半分ぐらいゴッソリ買ってきて、当時まだインターネットがダイヤルアップ接続だった草創期の時代、5色のiMacも購入し、ネットショップを始めました。しかし、体力的にも大変な労力をかけたにも関わらず、ネットではほとんど売れず、家では在庫の山で赤字、虫まで湧いてくる始末。商売はなかなかうまくいかなかったですね。そういえば道明寺にはベトナムカフェもできましたね。
そこで、もう少し系統的にビジネスを勉強しなければ、起業家として成功できないだろう、という思いがあり、社会人大学院へ行って、勉強することにし、関西学院大学でアントレプレナー課程を専攻、ベンチャーや創業、起業の理論を学んだりする中で、起業を希望する「ベンチャーゼミ」の学生たちとも先生の紹介で関わるようになり支援をするようになりました。
そこで、自ら商売をするよりは、これまでの非営利の世界での経験や知識、人脈を活かして、若者や学生が新しいチャレンジ、ビジネスや起業を行うことの支援をする立場を目指すべきではと思い、いろいろ研究や実践活動をしていく中で、四天王寺経営学部で、ベンチャー関係や中小企業論、NPOや関西経済、社会システムを教える人の募集があったのでそこに応募して、非営利の世界から教育の世界に移ったのが10年前です。
--結構あれこれ働いて、世界中にあちこち行ったりを「経てからの」先生ですよね。ベトナムで雑貨仕入れて日本で儲けよか、と思ったりした時期を「経てからの」先生ですよね。そりゃ、そんな先生のほうがおもしろいに決まってますけどw
--大学と地域の関係性についてはいかがですか?
大学は藤井寺駅が最寄駅で、羽曳野市にあるけども、大学内にまちづくりや、地域の経済活性化に興味のある人というのは本当に少ないですね。長年教員や職員として勤務していた人でも、地域と関わらずに過ごしてきてる人が多い気がします。地元の風呂屋に行ったことがないばかりか、道の駅や、藤井寺のお店で買い物や食事をしたことすらない人、地域に知り合いもいない人が大半です。大人に多分興味を持て、といわれても無理でしょう。しかし、学生については、何十人かに一人は、興味を持つ子がいるので、告知の分母を増やせば人材は見つかります。吹き矢は楽しいよ、っていうと興味をもつ人は多くなくても必ずいる、あるいは、アホほど辛い唐辛子が好きな人が、100人に1人、日本全体では100万人以上はいる、のと同じで。
彼らを地域リーダーとして育てていき、あるいは地域で起業すれば、高齢化やサラリーマン化が進む日本の未来はもっと面白くなっていくのではと思います。
--藤井寺・道明寺ってどんな場所ですか?
自分は阪神間の西宮出身ですが、、藤井寺にはなんの知識もなく、道明寺という地名もこちらに赴任してくるまで、恥ずかしながら知りませんでした。南河内というと、「河内のオッさんの唄」みたいな怖そうなイメージがありましたが、実際に接してみると、こちらの人はとても親しみやすくフレンドリーで、自ら興味をもって飛び込んでいくことで、stranger、よそ者である私も受け入れていただき、今ではすっかり第二の故郷になり、とてもおもしろく楽しく毎日を過ごしています。お祭りでコントなんかもやりましたよ。
--・・・え!?コント!?どーゆー流れ?
道明寺で毎年行われてきた歴史まつりでは、学生たちと歴史装束ににコスプレして、街協のみなさんや、学生たちも一緒に、コントやネタをやったりもしましたね。
--・・・ネタをやったんすか!?
学生たちも、大学で勉強した内容は忘れても、このような経験は忘れず、チャレンジ精神として残って行くのではと思います。大学教育の本質とは外れるかもしれませんが。またコロナが集結したら、ぜひまたやりたいです。
話は戻りますが、私はニューメキシコで辛いものが大好きになりましたが、アメリカで大人気のメキシコ料理って、日本ではイタリアやインド、タイなど、他の外国料理に比べて人気がない。それは、日本ではフレッシュな唐辛子が手に入らないから、本場の味が再現できないのです。鷹の爪や、満願寺を使ったら、ハラペーニョやハバネロとは全然違う味になります。
そこで、思い立ち、ニューメキシコ現地の純系の唐辛子を、なんとか国内で作れないかな、それを地域の名産として農村の活性化に結びつければ、というチャレンジを数年前からいろんな人とやってるんです。その活動をテレビで知った、たまたま同じ西宮で、ニューメキシコのご夫妻が、日本初のニューメキシコ料理店を開業しました。
辛いものが’好きな人は以前より増えているし、日本人は新しい食事が好きなので、これからブームを作っていきたいと思っています。
--その流れでいくと、MONZENは日替わりダイニングというモデルを標榜していますが
たとえば、月曜日はメキシコ、火曜日は東南アジア、水曜日はハワイ、木曜日はアフリカ、金曜日はインド、土曜日はアラビアやトルコ、日曜はイタリア、など一週間でグルメ世界一周できるとか。地ビールを中心として、お菓子、世界の料理、雑貨、おみやげ、それこそ道明寺粉の糒を使ったものとか、南河内の油かす、ぶどうやいちぢくなど、バリエーションが広がるネタはできていきますね。
子供やお酒のアルコール以外もあるといいですね。お菓子とソフトドリンクをローカライズするとかね。
道明寺やから、梅ネードとか。梅スカッシュ。梅コーラ。ラムネやクラフトコーラもどうですかね。平野が発祥で、たしか和泉かどこかにもあるはずですよ。
老若男女、オールエイジで楽しめるような場所になるといいですよね。
とくに子供がその場所でなんか、用もないのに集まってきて、楽しめるような。たとえば、おもちゃや絵本の交換とか、世代を超えた遊びの場ね。
--それいいですね!リサイクルおもちゃトレードBOX。
あと、MONZENの中にある昭和時代の切り抜きを貼った「あの壁」は残したほうがいい。
--さすが。僕もあれはかつての若者像を凝縮した一枚のコラージュ作品であるとも思います。
あれは相当貴重なもんですよ。あとで見に行きましょう!
--行きましょう!ww
--あまやんさんがMONZENに関わることができそうなことはありますか?
大学としては、学生を引っ張ってきて、ここで何か面白いことを一緒にやろうよ!とか、また、いろんな人がそれをバックアップする、そんなきっかけづくりになればいいと思います。
大学や、親の意向としては、学生は真面目に勉強して、有名企業に就職や、公務員を目指して欲しいと思っていますが、学生がここにきて、それぞれ自分たちが好きなことを見つけ、地域で起業をしたり、地域で活躍する若いリーダーのたまり場となれば。私としては、どこに就職するかよりも、楽しみながら、自分らしい生き方を見つけることをバックアップしていきたいと思います。
--MONZENのにぎわいづくりに何か必要なものは何かありますか?
道明寺から土師ノ里、林、沢田、惣社あたりを一つのエリアとして(面として)とらえられるよう見せ方が必要だと思います。MONZENがきっかけで、何もない古墳前も、商店街の空き店舗も、若い人がなにかやり始めてくれて、埋まっていくような。
--たしかに道明寺から土師ノ里という徒歩圏内で見せる印刷物やウェブサイトはまだないのですよね。やりましょう。
あと、藤井寺珍百景のひとつ、沢田八幡神社ももう少し魅力化できたらなぁ。
アサノヤ付近ももっと分かりやすく周回できる工夫が見せられそうですね。
付近に銭湯も2軒あって。コロッケ寛chan館があって。
世界遺産である古墳とAR、VRの組み合わせなども。インスタ映えスポットも整えて若者たちの手でバズらせたいですね。
あと、ものすごく怪しい自販機○○本小屋もあったりしますね。入るのにものすごい勇気が入ります。
--あれは次の世界遺産申請中ですw
MONZENがこのエリアの情報発信や観光、エンタテイメントや起業の核となり、コロナの終結を経て、5年後、10年後に、日本有数の門前町として道明寺がどんどん変貌、進化していくことを期待し、私も学生たちといろんな取り組みをしていきたいと思います。本日はありがとうございました。
(聞き手 ASANOYA BOOKS 高山純)
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